【正直に告白します!】
みなさん、こんばんは。
ミスカトニックです。
さて、今日は「私たちが体験する『出来事』に『答え』はあるのか?」というテーマでお話ししたいと思います。
ただ、その前に、かなり勇気が必要なことですが、1つカミングアウトさせてください。
正直に、私のこと、私の思いをお話しします
私が20歳の時に神秘的な体験をした、というお話しは、機会があるごとにお話しさせてい頂いています。
そして、その後も神秘的な体験は続いており、それは今でも同じであるということもお話ししています。
ただ、ここから先のお話しついては、公開してもよいかどうか、ずっと迷っていました。
私がスピリチュアルの世界で活動する前は、そうした葛藤はなかったのですが、スピリチュアルの世界で活動するようになってから、ずっと葛藤していました。
ただ、それは私の中でずっと大切にしていた、いやそれ以上に私の支えになっていた、とても大切なもの、ある意味私の人生の大きな柱といってもよいものです。
18年(もうすぐ19年)のスピリチュアルのキャリアの中で、その内容をお伝えすることに迷いと葛藤があったのですが、勇気を出して今日は皆さんに告白したいと思います。
実は、私は「神さま」と会話ができるのです。
…と聞くと
「あぁ、ミスカトニックもついに『あさって』の方向に行ったか」
「新しいブランディングの1つ?つまらなすぎてウケるwwww」
「ついにミスカトニックもメンタルがやられたか」
…となるかもしれませんね。
ただ、これは私が体験した、そして体験している本当のことです。
では、なぜ今までお話ししなかったのか?
それは、私が「特別な存在」になるのが嫌だったからです。
私はいわゆる「霊能者」になりたくありません。
皆さんよりも霊的能力が高いと思われたくありません。
スピリチュアルの「権威」になりたくありません。
私が他の方よりも特別神さまから愛されていると思われたくありません。
私は、普通の人と思われたい、普通の人でありたいと、心から思っています。
ただ、一方で神さまから様々なことを教えていただき、そして愛をもって導いていただいたことも事実です。
そして、その導きの結果、私はスピリチュアルな世界で活動することになりました。
その神さまの導きは、私の活動に色濃く反映されているだけでなく、私の活動の根幹でもあります。
そのため、私の気持ちの整理と、そしてこれからの活動の方向性を明確にするために、勇気を出して今回告白しました。
ただ、くれぐれも、私を特別な存在とは決して思わないでください。
それは、心からお願いいたします。
私と「神さま」の関係
私と「神さま」の関係は、私が神秘的な体験をした20歳の時から続いています。
その当時、私は洗礼を受け、牧師になるべくキリスト教の専門的な教育を受けていました。
ただ、私のキリスト教に対する信仰というのは「思弁的」なものであり、「体験的」なものではありませんでした。
そのため、たくさんの疑問を抱えており、それを「クリスチャン」としてどのように消化すればいいのかという課題に直面していました。
その時、私は神秘体験を通して「神さま」と出会いました。
その、最初の出会いの内容や交わした言葉については、これは「神さま」と私だけのことですので、お話しできません。
ただ、それは今まで経験したことのない、安らぎと癒し、そして深い愛に満ちたものでした。
私はその時、心から涙を流しました。
そして、それからずっと今まで、「神さま」との対話は続いています。
また、その出会いによって、私の「キリスト教的」な世界観は大きく崩れました。
その体験は本当に圧倒的なものであり、私の人生を一変させました。
そして、今まで「クリスチャン」として感じていた疑問がすべて消えました。
私はキリスト教を否定するつもりは全くありません。
今でもキリスト教の思想は大好きですし、歴史好きな私はいつか高等批評(という分野がキリスト教にはあります)の学びに没頭したいとう願いすらあります。
しかし私の中でのキリスト教的な「教え」は全てではなく、語られている内容は世界と宇宙の「ほんの一部」で、しかも「人間」の解釈が相当に入ってしまっていることを知ることになりました。
さらに同時に、「神さま」が創造した宇宙と世界はもっと広く、さらに深い愛に満ちたものであることを知りました。
その結果、私はキリスト教と決別することを選択しました。
ただ、その後も神秘的な体験はたくさんあり、その体験を自分なりにどう消化したらよいのか分からない、という時期が長く続きました。
いわゆる「スピリチュアル・クライシス」というものです。
ただ、その時期を超えるとすごく楽になり、また「神さま」の愛を深く感じ取ることができるようになりました。
私にとって神さまとは?
私にとって「神さま」は導き手であり、また教師、師匠です。
…ただ、これは実は正確ではありませんね。というのは、私たちも「神さま」と一体だからです。
まぁ、それはともかく、「神さま」は私の教師、師匠ではありますが、「答え」は教えてくれません。
「神さま」は私に「考える」ことを本当に徹底的に求めます。
つまり、「神さま」との出会いというものは、私にとって「楽に成功できる人生」を約束するものではないんですね。
ただ、答えは教えてくれませんが、「考える方向性」「うまくいく法則」は教えてもらえます。
違った言い方をすると、私の「自由意志」を「神さま」は絶対に束縛することはありません。
方向性や法則は示してもらえる、ただ、それをどう使うかは私次第、ということです。
そのとき示される方法というのは、言葉であったりビジョンであったり、時には偶然と思えるような出来事だったりします。
その中で私は「神さま」から示された「方向性」を理解し、そして私なりの「答え」を導き出す、というものが一連のプロセスです。
実は、私の中で「神さま会議」(笑)というものがあります。
これは、私が何かを検討しなければならないとき、判断をしなければならないときに行うものです。
このような形で、私と「神さま」との関係は今でも続いていますし、今後も恐らくは続いていくものだと思います。
そもそも「答え」とは?
その「神さま」との関係で学んだことの1つとして、「課題に対する『答え』を神さまは用意していない」ということです。
これはどのような意味かといいますと…
神さまは、私たちが愛に向かって学び成長することを望んでいる。
そして、学びと成長のために課題が私たちの人生に訪れる。
しかし、神さまは答えを用意していない。
なぜなら、答えを渡してしまうと、私たちは自らの人生を願うとおりに創造できなくなってしまう。
つまり、何を願うか、何をシアワセと思うかは、私たち人間の自由である。
そして、私たちが自らの人生を、私たちが願うように創造するために神さまは課題を示すが、答え、つまり「正解」を用意することはできない。
ただ、「不正解」はある。
それは、愛をさらに広げる創造から外れてしまうことである。
…ということです。
私たちは、悩み苦しんだ時に、それを解決する「唯一絶対の『答え』」、つまり「解決策」を求めます。
そして、その解決策にすがってしまう傾向があります。
確かに、解決策は必要ですし、大切です。
ただ、「唯一絶対の解決策」というものは、そもそも存在しないのです。
存在しないから、私たちは自由に思うがまま、願うがままに自分の人生を創造できるのです。
ただ、唯一絶対のルールがあります。
それは、「愛の創造」から外れることは、あってはならない、というものです。
この「愛の創造」から外れた解決策は、必然的にネガティブな結果をもたらします。
私たちスピリチュアル・カウンセラー、占い師の役割というのは、クライエントが自らの課題を解決して、「愛の創造」を行い、それが結果として世の中に、世界に愛が広まるということではないかと思っています。
もちろん、これは私個人の考えですので、皆さんにそう考えるべきとは言いません。
ただ、クライエントが自らを愛される存在、いやすでに愛されている存在と思えるということは、クライエントにとってとても大きな意味があると思います。
「愛」という言葉は、とても月並みなものに思えるかもしれません。
しかし、改めて私たちは「愛」というものに向き合う時期に来ていると私は思っています。
これが皆さんの活動の参考になれば幸いです。
長文になりましたが、最後までお読みくださりありがとうございました。
引き続き、これからもどうぞよろしくお願いいたします。
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