ダブル・スタンダート:5

クライアントに寄り添う占い師・占いカウンセラーの皆様

こんにちは!

占い師の集客とリピートを応援する

占いカウンセラー、スピリチュアルカウンセラー養成講師、

スピリチュアルビジネスコンサルタントの

ミスカトニックです


私が占い師を初めたころ、色々な思いが頭の中にありました。

クライエントの求めに応じて願望成就までの期間を答えることへの疑問と罪悪感。

現実的にクライエントを良い状態にすることと願望成就とのバランスをどうとるのか、という葛藤。

実効性のあるアドバイスでいかにしてクライエントの思いを形にしていくのか、というプレッシャー。

何よりも課題だったのが、クライエントの感情をどう治癒するか、という事でした。

クライエントは悩みを持っており、その悩みゆえに精神状態がネガティブになっています。

そのネガティブな状態を治癒する一番の方法は、悩みが消えること、つまり願望が叶うことです。

でも、それには相当の時間がかかる。

では、その間どのようにクライエントをフォローするか?

占い師としての仕事が順調になって忙しくなっても心理カウンセラーの仕事を辞めなかったのは、ここの問題解決をしたかったからに他なりません。

どこにセンターを置くかによって鑑定のスタイルは変わってきます。

問題解決を志向するか、クライエントの感情に中心を置くか?

占いに徹した方が良いのか?

様々な悩みがありました。

そして、悩みぬいた後にたどり着いた答えが、このコラムでした。

このコラムは、私の鑑定スタイルの原点です。

ここには、占い師としての限界があります。

クライエントの未来に対する希望があります。

クライエントの今の絶望に対する無力さがあります。

しかし、それでもセッションを意味あるものにするためには何が必要か?

そう考えたとき、結論として出てくるのは…

クライエントの無条件の肯定

であると私は思います。

…正直に告白すると10年間の活動の間、決して良い状態の時ばかりではありませんでした。

鑑定スタイルのブレがクレームを生んだこともあります。

人によってセッションのスタイルは違いますので、何が一番なのか、は人によって違うでしょう。

ただ、ある時期の私は問題解決志向が極端に強くなりました。

それが間違いではないのですが、その時の私はこのコラムにある原点から最も離れていた時期でした。

私にとってこのコラムは自戒であり原点であり、そして決意であり、覚悟です。

もしも、皆さんとこの思いを共有できたら、それは望外の喜びです。

では、早速続きに入りましょう。

※ ※ ※

しかし、翻って考えたときに、客観的な幸福にどの程度の価値があるのだろうという疑問が生じる。

相談者が苦痛を感じなくなり、とりあえず新しい伴侶と安定した幸福な関係が成り立ったとして、その伴侶を相談者が愛せなければ、相談者の幸福は実現されたことにはならない。

私の言う「客観的な幸福」とは、第三者が判断する幸福の事であるのだが、第三者の判断する幸福になど、たいした意味はない。

もしもあなたの元へ神様がやってきて、「お前の幸福は毎日200キロ走り続ける事だ」といわれたとしても、よほどの信仰心がなければ納得はしないだろう。

それと同じように、一介の鑑定士が相談者の幸福を定義するのは傲慢以外の何ものでもない。

私は確かに、霊感を使ってどの方法が適切かを判断できるかもしれない。確かに、苦痛を感じずに、安定した生活への方法を提供できるかもしれない。

しかし、受話器の向こう側にいるのは、幸福になる事を願い、恋する相手と結ばれる事を切実に願う人格や感情を持った人間なのだ。

そうした人格や感情、価値観を無視した鑑定は、無益であるばかりでなく有害でしかない。

考えてもらいたい。もしも私が、例の片思いをしている彼女に不倫を告白されたときに、「あなたの願望は4年ほどかかるねぇ」等という発言をしたら、皆さんは私をどう思うだろうか?恐らくは非常識で傲慢で、そしてデリカシーのない人間とみなすだろう。

人を愛するという気持ちは、結果とは全く別の次元で、絶対に守られなければならない。結果が出ないという事ゆえに、愛する事が否定される事は、絶対にあってはならない事なのだ。

私は鑑定士である前に一人の人間である。どれだけ不十分であっても、どれだけ未熟であっても、多少の良識はあると思う。

その良識に照らし合わせたときに、私の「3年です」「5年です」「10年です」「不可能です」という発言が、どれだけ傲慢で、どれだけ相談者の人間性や人格を踏みにじっているかは理解しているつもりだ。

しかし、鑑定士という職務上、問われるのは結果の創出であり、それを基準にしたときに、相談者の感情や願いを、そのまま肯定できない場面は多々ある。結果を志向しない鑑定はもはや鑑定ではないし、相談者の感情や願いを肯定するだけの鑑定であれば、それは単なるカウンセリングでしかない。

これはダブル・スタンダートなのだ。

ここには二つの価値基準がある。相談者の幸福の実現というテーマは絶対だが、そこに至る過程において、相談者の感情の肯定と、方法論の構築という二つの基準がある。

この基準は時として相反するものなのだが、しかし相反する基準がなければ、鑑定は成り立たない。

相談者の心痛に配慮しながら、なおかつ結果を導出する為の努力を模索する。この二つが適度に調和したものが、「良い鑑定」なのだと思う。

私の鑑定が、どこまで「良い鑑定」に近づいているかは相談者にお任せする。恐らくは批判もあるだろうし、私の名前を聞いたときに嫌悪感しか覚えない人もいるはずだ。

よく相談者と鑑定士の「相性」が問題にされるが、実を言うと私は、鑑定における相性は信じていない。確かに、コミュニケーション上の問題や意思の疎通という点において相性は大きな意味を持つ。

しかし、鑑定の水準や提示される解決策は相性とは別の次元の問題であり、そうした水準は相談者との相性には左右されない。

確かに、鑑定士として苦手な相談者もいるにはいる。しかしその苦手意識は、コミュニケーションのとり方であったり、意思伝達の次元での話しだ。

だから、鑑定水準についての批判はあってしかるべきだと思うし、結局のところ、それらの責任は鑑定士に帰されるべきなのだと思う。

だから相談者は、批判すべきことは批判すべきだし、疑問を感じたら鑑定士に直接ぶつけるべきなのだ。なぜなら、その問題はかけがえのない相談者の人生を左右するものだからだ。

相談者がこの世に生を受けて、数十年間の短い期間の中で、いま現在、心から誰かを愛しているから。

だから、鑑定を受ける以上は結果が問われなければならないのだ。鑑定は、相談者の人生を取り扱っている。

それが半年であっても10年であっても、その期間は相談者の人生そのものなのだ。

私は過去、先に述べた女性に5年間、恋をし続けた。不倫が判明した後でも、それでも彼女を嫌いにはなれなかったし、依然として目標であり、愛する対象であり続けた。

そしてその5年間、願いが叶わないことについて私は、一度も自分が不幸だと思わなかった。

その5年間は、私にとっては人生のすべてと言ってもいい期間だったのだ。

自己満足といわれてしまえばそれまでだが、私は自らの人生の一時期、ある女性を心から愛する事ができた。

それは確かに叶わなかったし、彼女が今、どう生活しているかは定かではない。しかし、たった一度の人生において、そうした素敵な女性を私は愛する事ができた。

私は、彼女の存在に対して心から感謝しているし、そうした彼女と出会い、そして愛する事ができた私は、本当に幸運な人間だと思う。これだから、生きる事はやめられない。

そして、私は彼女の彼を思う気持ちに本当に心を打たれた。彼女の彼に対する愛は、本当に純粋だった。

確かに、不倫というものが一般的に容認されえないものである事も、時として指弾されてしかるべきものである事も理解しているし、そうした批判から彼女を弁護するつもりはない。

しかし、愛すると言う感情そのものが、社会的なものや実現可能性によって非難され、否定されるべきではない。

どれだけ困難な常況にあっても、どれだけ可能性に乏しくても、それでも相手の幸せを願い、そして愛したいという気持ちを、私はとても美しいと思う。

しかし、鑑定の現場においては、そうした愛する事の美しさよりも、客観的な可能性や実現に至るプロセスが問題となり続ける。そこにおける私が、どこまで「良い奴」でありえているかは分からない。

まるで値踏みをするかのように相談者の願望を判断するだろうし、「2年ですね」「6年ですね」「不可能ですね」という発言を繰り返すだろう。

もう一度言う。それはとても残酷な事であり、とても無神経な事なのだ。

そうした傲慢さについて、仕事である事を免罪符にするつもりはないし、批判は甘受せねばならない。

ただ私は、そうした鑑定に付きまとう問題や、相談者の側の実現可能性を超えた別のところに、もう一つの真実があるもの知っている。

そしてその真実が、愛するという行為の純粋さと、現実的な諸問題の解決というダブル・スタンダートの隙間を埋めてくれるものであると信じている。

生きる上において、どんな洋服を着るか、どんな音楽を聴くか、どんな人を愛するかを決定する権利は、あなたが独占すべきものだ。

だれかがあなたの人生を不当に左右してはならないし、誰かがあなたの幸福を決定してはならない。

あなたの幸福や生き方は、あなたが決めるべきものだ。あなたがより良い人生を生きる上において、もしかしたら鑑定士は有益な存在かもしれない。

しかし、鑑定士はあなたの人生の主体にはなりえないし、またなってはならない。だから、何を幸福と感じるか、何を得たいと願うかは、鑑定士にも否定し得ないものなのだと思う。

あなたは鑑定士にも他人にも、そして神様にも、「私の人生はこうなの!」「私の幸福はこうなの!」と主張する権利がある。

ただ、権利には責任が伴うし、私たちの願いの全てが叶う事はありえない。そうした事はあなたを孤独へ追いやるだろうし、鑑定士の冷徹な発言はあなたを傷つけるかもしれない。

しかし、難しい事を願うのは間違いではないし、困難な状況を頑張るのは過ちではない。確かに、私は結果で全てを判断する。

結果が出るかでないかで、相談者の願望を肯定したり否定したりするだろう。「3年がんばりましょう」といわれても、目に見える成果が出ないのだから、不安や焦燥感も感じると思う。

しかしその後に、あなたがどう生きるかによって、あなたの人生は本当に変わってくる。全ての願いが叶う事は約束しない。願望が全て満たされる事はありえない。

しかし、あなたの幸福が存在する事は約束できる。だから、叶わない事や結果が出ない事で自分自身を否定するのは間違いだ。

そして、もしもどうしても信じるものが欲しいのであれば、あなたが誰かを心から愛しているという事を信じて欲しい。

その事実は、どんな占い師の甘言よりも、どんな鑑定士の残酷な宣告よりも、はるかに価値があり、はるかに意味がある。私は、それでも信じて前へ進もうとするあなたを、心から誇りに思うし、本当に素敵だと思う。

そしてもう一つ。

確かに、今は笑えないかもしれないし、今は眠り続けて時が過ぎるのをひたすら待ちたいという気持ちかもしれない。

確かに、全てが叶うわけではないし、満たされるわけではない。そうした寂しさや苦しみがあなたを押しつぶそうとしている事はよく分かっている。

ただ、どうかお願いだから、ほんの僅かでもいい。

人生を楽しんで欲しい。生きる事を満喫して欲しい。

一日のうち、5分でも10分でもいいから、問題を忘れて、笑顔でいて欲しい。

あなたと、あなたが愛する人との関係がどのような状態であろうとも、あなたの愛する人は、あなたの笑顔を願っている。

そしてその笑顔は、どんな魔法よりも、どんな鑑定よりも価値がある。だから、その笑顔で愛する人を幸せにして欲しい。笑顔の力を信じて欲しい。あなたの笑顔がなければ、あなたの愛する人は幸福になれないのだ。

私は信じている。あなたのその笑顔のそばにこそ、あなたの人生と幸福とがある事を。そして、あなたが思っている以上に、あなたの人生は尊く、そして素敵なものである事も。

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